幕末の志士とツイッター村の志士
大河ドラマを見ながら「モッ君」の斎藤道三!めっちゃかっこえー!もっと見たいけどもうすぐ息子にやられるな~。ってゆうか大河ドラマ撮影出来てないってニュース出てたけどそろそろ「ダイジェスト」はさむんかな?とわりと俯瞰して見ている5/10です。
お題は幕末の志士ちゃうんかい!とツッコまれそうですが「出だしは戦国~」!と霜降り明星の粗品さん風にツッコミ返し~
このブログこの辺ですでにネタバレしているので書くのがまあまあ恥ずかしいですが
「ほんまに日本人ってこんな感じやったけ?」
と思う残念なニュースばかりなので・・・
正義
大河ドラマの人気の時代ワンツーは明らかに、戦国と幕末です。
徳川が長く平穏に続いた時代にハイライトしてもなかなか盛り上がりそうな題材が無いからでしょうか?
幕末はスーパースターの宝庫で誰を「主役」にするかで見ている人の感情の偏り方が大きく違ってきます。
坂本龍馬と新選組は同じ時代に生きた志士であり、まさにその立場は対局にある。
その年にNHKさんがどちらを選ぶかによって見ている人の感情が偏る。
こんな風に考えてみるのはどうだろうか?
僕はこの感情の偏りは「正義」の量ではないかと!当然、主役が多めに露出するので正義多めです。
反対側も正義だと知っている視聴者
「あ~あ〜それぞれの正義で戦っちゃってるよ~」って見ている視聴者は思いますよね。
龍馬伝も新選組!も見ていて両方の「言い分」を知ってるんだから。
その言い分はそれぞれの正義
サックっと転用しよ~
新型コロナの話題でツイッター村の志士達も「それぞれの正義」で戦っているんだと思う。
人のお店に変な張り紙したりガラスを割ったりする人も「その人の正義」で戦っているのだろう。
でも、何十年後かNHKのドラマで新型コロナ時代がドラマ化されたと想像してみると
「あ~あ〜それぞれの正義で戦っちゃってるよ~」ってなるんじゃないのかな~?
ニュースもツイッターも大河ドラマを見るように俯瞰してみてはどうですか?