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「釣りの前」「釣の後」の楽しいを最大化

2019年独立起業した釣針屋のBLOGです。

作り手と多くの釣人がつながる仕組みができないか?模索中

専用機や金型製作技術を「釣人のワク!ワク!」に変換していきます。

しぼりだした笑顔とありがとう

2020年も残念ながら水害が発生してしまいました。球磨川最上川を中心に複数の河川で・・

 

現状、僕は直接ボランティアに行く事はできません、なので災害直後に立上るクラウドファンディングに少額ですが支援しようと思います。

 

兵庫県西脇市でも平成16年10月、台風23号の豪雨で加古川本流と杉原川支流の合流する三角地点で水害が発生しました。

 

(床上430戸、床下1222戸、浸水面積1447ha)

 

全国規模では京都府舞鶴市の国道で観光バスが水没、バスの屋根に30人以上の人が10時間にわたって孤立したニュースが大きく報道されたあの台風です。

 

当時、28歳!現役消防団員です。

 

事前に召集され、長い詰所待機が始まりました。加古川本流水位の確認、農業水利池の水位などを見回り、区長に報告!連携をとります。

 

いままで見たことのない加古川の水位に恐怖を感じ、あと1m~2m水位が上がれば堤防決壊につながっていたと思い出すと今でもゾッとします。

 

分団無線、消防本部の無線は鳴り響き、伝わる声から消防団幹部の殺気を感じます。

 

本流加古川の水位がみるみる上がり支流の流れが閉ざされ内水は放水落差を失い、午後4時15ごろ浸水、あっという間に一面が水に覆われたようで無線からは救命ボートの要請がとびかいます。

 

西脇市内は高低差があり、僕の町内は浸水被害は出ず。風によって飛ばされた屋根の処理、土嚢作りなど夜通し作業が続きます。

 

都会にお住まいの人から見ると消防団員と消防署員が同じ働きをすると思われるかもしれませんね。

 

消防団員は普段は別の仕事をしており、火災発生時などは初期消火、自然災害が現在進行形で起こっている時には、最低限度の避難補助や災害の部分回避程度しか出来る事がありません。

 

消防団員が本当に活動できるのは水が引いた後でした。

 

当然の事ですが朝一番で招集がかかります。

 

今でも覚えています。

どこを歩いても、どこの家も「人の力」が必要です。被害にあった人の多くの人は玄関先に呆然と立ち何から手を付けていいのか?と消防作業服の僕たちに聞いてきます。

 

どうしたもんかと見渡せば、たった100cmほどかさ上げした基礎に建った家は被害がまったく無い、申し訳なさそうに洗濯を干している人が目に入る。

 

なんだこの差は?

 

ここで決意!

「今日一日はネガティブな言葉を封印してやる!」立ち尽くすおばちゃんに「とりあえず中見せてーや」と声をかけた。

 

土足で家に入ることに躊躇したのは最初の一軒だけだったように思う。

 

家に住むこの人はどう思っているのだろう?と思いを寄せたのは一瞬だけだった。

 

家の中は泥水が引いたザラザラの床、ここまで水が来ましたとばかりに柱には横一線のゴミがついている。

 

おばちゃんの家は古く畳の部屋が多かった。

 

おばちゃん1人では濡れた畳は絶対にもてないと、この後、初めて知ることになるのだ。

 

一軒一軒全ての作業が終わるまで手伝えるわけではない、消防団員にも仕事もあれば自分の家庭もあるからだ。ある程度作業の方向が示せたと感じたら次の家に向かう。

 

新品らしきテレビが水没していたが「しかたなく」運び出す、新しい家のフロアにも「しかたなく」土足だ。

 

ネガティブな言葉は吐かないと決めていたが、被災した人に「これも運ぼか?」と聞くとセットになって次の言葉は「しゃーないなー(しかたないよねー)」がセットになって出てくる。

 

さすがに疲労と眠気が限界になってくるが、さらに若い団員も仕事を休んでヘロヘロになって作業しているのに「しんどい」なんて言える雰囲気などみじんもない。

 

田舎の28歳は最もカッコをつけなければならない年齢なのだ。

 

時間的にも最後の家になるだろうと思っていた家で事件は起こった。

 

当時28歳の若者はその後、約1ケ月間その家の前を通ると「この家のオッサン!ムカつく!」と思う事になるのだ。

 

今ではどの家だったかさえ思い出せないけど・・

 

終日土足。家に上がると本棚があり大量の本がある。

この棚を移動しなければどうにもならない状況だ。

疲労と眠気で若い団員も僕もその本の量にうんざりしている。

バケツリレーの形態をとった。集中力なんてとっくに切れて若い団員が「バラバラ」と本を落とす。

 

僕はその日の決意なのか口癖になったのか「しゃーない、しゃーない」と若い団員に作り笑顔をみせた。

 

次の瞬間!

家の主人らしきオッサンに「何がしゃーないねん!」と怒鳴られ、作業服の胸ぐらをつかまれる!28歳の僕

 

疲労、眠気、仕事、家の事、苛立ち、いろんな思いをすべてを押し殺して、「まあまあ、若い子らも仕事休んで寝ずに来てますから」とこのオッサンに言った。口ではね。

 

目の奥は「このおっさん誰も見てなかったら絶対シバイたる!!」と言っていたと思いますのでオッサンも「すう~」っと手を放して何事もなかったかの様にどこかへ行ってしまった。

 

この家の奥さんは旦那を止める訳でもなく、ただただ疲れきって立ち尽くしていたように見えた。

 

若い団員達は僕に「あのオッサンありえへんわー」「ムカつくわー」なんて本心の僕に同調してくれます。

 

口ではムカつくとは言いません。田舎の28歳ゆうたら一番カッコつける年齢ですから。

 

ギリギリ格好のついた僕はムカつきながらも、なんとかその日を乗り越える事ができた。

 

平日はもうさすがに休めず、次の週末は支流があふれた別の現場へ出された。

 

そのころになるとヘドロは乾きマスクが無いと息もできない。トラックで仮置き場に急ぎたい雇われ運転手は渋滞に苛立ち、警備の消防団に文句を言ってくる始末!舞う白いホコリが苛立ちをさらに刺激していたように思う。

 

最初のおばちゃんは「小さな声でありがとう」と

次の家の夫婦は笑顔で「ありがとう」と

次の家も、次の家も「ありがとう」「ありがとう」と言ってくれたのに・・・

 

終盤では、胸ぐらをつかまれ、ヤンキーのにーちゃんに渋滞の文句を言われる。

 

 

一月後、台風23号はドキュメント番組になります。

 

現場はきれい事ばかりではありません!こっちは体験しとるねん!と言いたくなります。胸ぐらをつかまれた記憶も再燃した次の瞬間!

 

大御所俳優の体験談が耳に入ってきました。

 

「被災者はね、ありがとうさえ言わなくても当たり前なんだよ。もしそれを求めているならあなた自身の想像力の不足ですよ」

 

と優しく語られました。

 

僕が当時、自ら選択した反応すべては想像力不足の結果だったのだと気がつきます。

 

あの「笑顔」と「ありがとう」はなんとかしぼりだしたものだったんだと・・・・

 

 

いつ災害が起こってもおかしくない日本

次このような機会があればもっと被災者に寄り添える自分でありたい・・・

と思いながらクラファンの支援ボタンをポチリとおす予定の7月30日です。

 

さあ、ようやく西脇市にも夏が来たようです。

 

 

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2020初の夏空

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お読み頂きありがとうございました。これからも良い仲間と共に~